ロティサリーチキンの残り、次は何を作る?
丸ごと一羽のロティサリーチキンは、一食のつもりで買う。実際、最初の食卓ではその通りになる。でも一羽のチキンはもともと一食で終わる量では作られていないので、無駄になるのはたいてい最初の食事ではなく、そのあとに残った部分だ。切り分けなかった胸肉、骨についたままの腿肉、そして骨がら。どれも冷蔵庫に入る時点で名前も次の予定もついていないので、あいまいな義務のようなものとしてただ置かれ、次に思い出したときには食べごろの時間の多くがすでに過ぎている。
買ったのは一食、手に入ったのは食材のストック
ロティサリーチキンがお得な理由は、そのまま無駄になりやすい理由でもある。あれは一皿の料理ではなく、たまたまチキンの形をしている、調理済みのたんぱく質のストックだ。「今日の残り」として見ると、半羽は量として中途半端で、それだけを軸に献立を組みにくい、少し扱いにくい食材になる。でも「まだ用途の決まっていない食材」として見ると、同じ半羽で、今週後半のまったく別の二、三食をまかなえる。肉そのものは何も変わらない。変わるのは肉に対する見方だけで、その見方こそが実際に食べられるかどうかを決めている。
無駄はどこで起きているか
最初の食事で無駄になることはほとんどない——それは温かいうちに食卓で食べきられる。無駄が起きるのは二日目、残った肉をほぐして容器に詰めて冷蔵庫にしまった、そのあとだ。「チキン」と書かれただけの容器は、名前のついた作り置き料理と違って、6時の時点で「これで何を作るべきか」を何も教えてくれない。技術的には正しい情報だが、実際の役には立たない。だから棚の奥に押しやられ、翌日の買い物のためのスペースが前に空く。次に見つかったときには、安全に食べられる期間の終わりにかなり近づいていることが多い。誰もそれを「時計が動いている食材」として見ておらず、「もう食べ終わった料理」として扱っていたからだ。
ほぐした肉が実際に向いている料理
すでに骨から外してある調理済みのチキンは、そもそも生肉を鍋に入れる工程がいらない料理にそのまま入っていく。だからこそ、感覚以上に早く食卓に出せる。ほぼすべてを吸収してくれる形はいくつかある。
- 単独の一皿ではなく「具」として使う。ほぐしてあり合わせの野菜と一緒に皮で巻けば、鍋を温める時間だけでタコスや春巻き風の一品になる。肉を火にかけて仕上げる工程がまるごと省略されているからだ。
- 一晩置いたほうがおいしくなる冷菜にする。細かく刻んでマヨネーズやマスタード、歯ごたえのあるものと酸味のあるものを合わせれば、チキンサラダになる。しかも作りたてより翌日のほうがなじんでおいしい、数少ない「置いておくほど得をする」残り物だ。
- チャーハンや麺、丼のかさ増しにする。チャーハンや焼きそば、野菜と穀物のボウルに加えれば、新しく肉を焼くのとほぼ同じ役割を、はるかに少ない手間で果たしてくれる。ほぐした肉を熱いフライパンで温め直すのと、生の肉を安全に火が通るまで焼くのとでは、作業量がまったく違う。
- 寒い日にいちばん素直な選択肢、スープにする。出汁と野菜と一緒に加えれば、量として中途半端だった肉が、もう一食分を軽くまかなう一鍋に変わる。
どれも決まったレシピどおりに作る必要はない。ポイントは、肉がすでに火の通った状態にあるということ——平日の夕食を「ひと仕事」に感じさせているいちばんの原因、生肉を安全に火を通す工程そのものが、すでに終わっている。あとは組み立てるだけだ。
骨がらは見た目より価値がある
肉を外し終えると、残った骨がらはただのゴミのように見えて、いちばんそのままゴミ箱に直行しやすい部分でもある。でもほとんど手をかけずに、それはスープの出汁になる。骨と、どうせ捨てるつもりだった野菜の切れ端と水、あとは数時間放っておくだけでいい。出てくるのは特別な食材ではなく、上のスープの土台であり、リゾットの土台であり、ご飯を水だけで炊くより味の乗った炊き込みご飯の素になる。食後にそのまま捨てられていたはずの骨がらが、ほとんど能動的な手間なしに、もう一食分の下ごしらえをほぼ終えた状態になる。その日のうちに手が回らなければ、骨がらも肉と同じように冷凍でき、週末まで待たせても問題ない。
冷蔵庫に戻す前に、次の行き先を決めておく
残ったチキンが実際に食べられるかどうかを左右する瞬間は、三日目でも四日目でもない。最初の食事が終わって、肉を骨から外すその一分間だ。「これは木曜のチャーハン用」「これはスープのベース用」と決めてから冷蔵庫に入れた容器には、待っている役目がある。頭の中で単に「チキン」としか位置づけられていない容器は、冷蔵庫の中の他のすべてと注意を奪い合うことになり、しかもそもそも数日で使い切るべき、期限が思ったより早く近づいてくる種類の食材だ。まだ最初の食事の温かさが残っているうちに次の行き先を決めておくのは、追加の手間がほとんどかからないのに、あいまいな義務を具体的な計画に変えてくれる。
実際に役立つこと
- 肉をほぐして小分けにするのは当日のうちに。「今夜食べる分」と「次の料理用」に分けておいた容器のほうが、ひとまとめの容器より実際に使われやすい。
- 冷蔵庫に入れる前に、それぞれの分に役目を決めておく。「チキン」は計画ではない。「木曜はチャーハン」が計画だ。
- 骨がらを反射的に捨てない。出汁を取るのに能動的な手間はほとんどかからず、骨を二つ目の食材に変えてくれる。
- 時計は「食べようと思い立った日」ではなく「買った日」から動いていると考える。お店で買った丸ごとのロティサリーチキンは、手元に届くまでにすでに温かい状態で時間が経っていることが多く、自宅で丸鶏を焼いた場合より安全に食べられる期間は短くなる。残りをどこまで大胆に扱うか決める前に、調理済みチキンが冷蔵庫で実際どれくらいもつのかを一度確認しておく価値がある。
ここはまさに Munch が埋めようとしている隙間だ。残ったチキンは、買った日の記録つきで独立したバッチとして登録され、「開封済み」に切り替えた時点から、いつまで急ぐべきかわからない「チキン」という一項目に埋もれることなく、それ専用の、たいてい短めの時計が動き出す。献立の提案は冷蔵庫にあるものと照らし合わせて組まれるので、その残りのチキンさえ使えば完成する一品が自然と浮かび上がってくる——家族それぞれが「まだ半羽くらい残っていたはず」と思ったまま、誰も実際には覚えていない、という状態を防いでくれる。
ここで求められているのは、より几帳面な人間になることではない。丸ごと一羽のロティサリーチキンは、買ったその瞬間からすでに二、三食分の材料になっている。それがゴミ箱行きになるかどうかを実際に分けているのは、それが「あのチキン」という名前だけの何かになって棚の奥に押しやられ、結局やって来ない計画を待ち続ける前に、誰かがその用途を先に決めておくかどうか、それだけのことだ。