Munch家庭のキッチン管理

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作り置きが結局捨てられてしまう理由

日曜日の午後にまとめて数日分のおかずを作り、容器に小分けして冷蔵庫に並べておく。平日の夜に「何を作ろう」と考えなくて済むはずのこの作り置きが、実際には木曜や金曜まで残ったまま、結局捨てられてしまうことがよくある。これは作り置きという発想そのものが間違っているわけではない。作り置きは「何を作るか」という一つの決断を先に済ませてくれる一方で、それとは別の、もっと小さくて見過ごされやすい決断をいくつも後に残していくからだ。

作り置きが片づけているのは「作るかどうか」であって「食べるかどうか」ではない

日曜日の自分が決めるのは、何をどれだけ作るかだけだ。火曜日も水曜日も木曜日も、その日の自分は改めて決めなければならない——今夜、実際にこの容器を開けるのか、それとも別の何かで済ませるのか。この決断は消えたわけではなく、五日先に、より疲れていて、より空腹で、他の選択肢にも囲まれている自分に丸ごと渡されただけだ。一番やる気のある日曜日に一度立てた計画が、毎晩繰り返される同じ勝負に自動的に勝ち続けてくれるわけではない。

同じ容器が五つ並ぶと、いちばん大事な情報が消える

作り置きは普通、同じおかずを四つも五つも一度に作る。冷蔵庫に並んだそれらは、見た目でほとんど区別がつかない。単独の残り物なら、他の食材の中でひとつだけ浮いて見えるぶん、まだ目に留まりやすい。しかし同じものが五つ並ぶと、脳はそれを「作り置きのやつ」というひとつの塊として扱ってしまい、それぞれが別々に時間を刻んでいる五つの独立した食品だとは認識しなくなる。三番目の容器を見て「これはさっき食べたのより二日古い」と気づく人はまずいない——外見に違いがないからだ。結果として、ひとつの塊全体が同じように扱われ、あるとき一つずつ「まだ大丈夫」から「存在を忘れられた」へと静かに移っていく。それはまさに、見た目が均一すぎて誰も日付を書く必要を感じなかったせいだ。

作った週は、思っているより短い

調理済みの食品は、冷蔵庫で保守的に見て三、四日ほどしかもたない。これはどんな残り物にも当てはまる目安だ。ところが「一週間分の作り置き」という発想は、暗黙のうちに五日、六日、あるいはそれ以上食べられる前提に立っている。日曜日に作ったおかずを五つの容器に詰めるその瞬間、この二つの数字がかみ合っていないことにはほとんど誰も気づかない。日曜の午後に作ったものは、現実的には水曜か木曜までに食べ終えるのが妥当で、金曜まで引っ張るのは無理がある。しかし作り置きが本来カバーしたいのは、まさに週の後半——料理をする気力がいちばん残っていない日々であり、そこはたいてい、すでに容器の賞味の限界を過ぎてしまっている時期でもある。捨てられるのは誰かがだらしないからではない。容器がもつ日数と、一週間という単位が、そもそも噛み合っていないだけだ。

同じ料理を五回続けて食べたい人はいない

おいしそうな匂いが漂う日曜日のキッチンに立っていると、その同じ料理が四回目にどれくらい魅力的に感じられるかを、つい甘く見積もってしまう。これは計画の失敗というより、作られた瞬間と食べられる瞬間のあいだにある単純なズレの問題だ。作りたては一番おいしく感じられるが、三回目の温め直しになると、その料理は「他の何か」というアイデアと競争することになり、たいてい後者が勝つ。日曜日には十分で気の利いた量に思えたカレーの鍋が、水曜日には義務のように感じられることがある。それは保存状態が悪かったからではなく、同じ料理を五回連続で食べることが、単純に「気分を変えたい」という欲求に対して負担が大きすぎるからだ。

家族と暮らしていると、一つの作り置きが持ち主のいない容器に分裂する

複数人の家庭で、一人が「今週みんなの分」として作り置きをすると、それぞれの容器には具体的な持ち主がいないことが多い。誰も食べないのは、誰かが食べるだろうと思っているか、特定の日のために取ってあると思っているからだが、その「特定の日」は実際には誰も決めていない。これは普通の残り物が食べられずに残る問題と同じ構造だが、同じ容器が五つあることでその問題が五倍になる。さらに、家族それぞれの一週間のスケジュールが違えば話はもっとこじれる。水曜日に家にいる人は作った本人ではなく、この容器が今夜食べるべきものだとは知らないまま、金曜まで放置してしまう。

実際に効くこと

  • 容器には料理名だけでなく、作った日を書く。何も書かれていない五つの容器は見分けがつかないが、日付が書かれた五つの容器は、順番をつけられる五つの独立した事実になる。
  • 「日持ちする日数」ではなく「実際にまだ食べたいと思える日数」で分量を決める。少なめに作って残りは冷凍する方が、賞味期限では解決できない「飽き」の問題を解決してくれる。
  • 三日以内に食べきれないものは早めに冷凍する。冷凍すれば時計は本当に止まるので、「今週のうちに食べる」が実現可能な約束になる。
  • 少なくとも最初の一容器には、具体的な曜日を口に出して決めておく。「火曜の夜はこのカレー」というひと言があるだけで、持ち主のいない作り置きに持ち主と期限が生まれる。
  • 同じベースでも違う食べ方に変える。作り置きの鶏肉やご飯を、ある日はラップに、次の日はスープに、また次の日はチャーハンにする方が、同じ器を四回続けて出すよりも「飽き」に強い。

これはまさに Munch のバッチごとの記録が解決しようとしているギャップだ。記録した容器はそれぞれ、冷蔵・冷凍・常温といった保存場所と日付を個別に持ち、「作り置きひとまとめ」として扱われることはない。家族全員が同じリストをリアルタイムで見られるので、三番目の容器の実際の日数は、見た目が同じ容器の山に紛れて誰にもわからなくなる、ということがない。

作り置きという発想自体が間違っているわけではない。「何を作るか」という決断はきちんと片づけてくれる。ただ、それだけではもう一つの、もっと静かな決断——今夜、この容器を実際に食べるかどうか——までは片づけてくれない。日付を書く、少なめに作る、早めに冷凍する。それが、日曜日の調理だけでは終わらなかった、もう一つの仕事を片づける。