残りのパスタ、次は何を作る?
前の晩のパスタが入った容器には、ほかの残り物にはない厄介さがある。半分残った玉ねぎや一本だけのにんじんのように、次の出番を待つ食材には見えないのだ。ソースまでかかった、すでに完成しきった一食として、そこに座っている。それはつまり、「昨夜とまったく同じ夕食をもう一度」という提案でもある。たいていの人にとって、その提案は毎晩少しずつ負け続ける——何かを無駄にしようと決めたわけでもないのに、気づいたときにはもう化けさせようがない状態になっている。
問題はパスタではなく「再放送」であること
まったく同じ料理を温め直すのは、一から作るより手間は小さいはずなのに、それでも「同じ食事をもう一度」を求めていることに変わりはなく、多くの人が思っている以上にそこに抵抗を感じる。パスタ自体は前日から何も変わっていない。変わったのは、それがもう「新しい料理」ではなくなったという一点だけだ。だから容器は「明日でいいか」と棚の奥に押しやられ、翌日にはその日買ってきたばかりのものと張り合うことになって、また負ける。パスタがまずくなったわけではない。残り物という形のまま出される限り、「もう一度同じものを食べてくれ」という、ほかの残り物より弱い頼み方しかできていないだけだ。
実際に食べてもらえる方法は、そのまま温め直さないこと
必要なのは根性ではなく、提案そのものを変えることだ。残りのパスタは、少しの手間で別の料理に化けることができ、別の料理であれば「また同じか」という壁自体が最初から存在しない。
- 温め直すのではなく、炒める。油を熱したフライパンでめんの端が少し焦げつくまで炒めると、もとの料理にはなかった食感が生まれる。プレーンな、あるいは軽いソースのパスタに特に向いていて、焼きそば的な扱いにいちばん近い。冷蔵庫に残っている卵や青菜、少しの肉類を一緒に炒め込む口実にもなる。
- 卵でとじて焼き、パスタ・フリッタータにする。残りのパスタを溶き卵と粉チーズと合わせ、熱したフライパンで底が固まるまで焼くと、切り分けたときにはまったく別の一皿に見える。
- 仕上げにスープへ加える。煮立ったスープにひとさじ、ふたさじ加えて数分煮るだけで、薄めのスープにボリュームが出る。買い足すものは何もいらないし、「昨日の再放送」感もほとんど出ない。
- 冷製のパスタサラダに作り直す。プレーンか軽く油をまとわせただけのパスタに、ドレッシングと使い切りたい生野菜を合わせれば、昨夜の温かい夕食が今日の弁当という別物になる。器と温度が変わるだけで、印象は思っている以上に変わる。
どれも、残っている量がそれほど多くなくても十分成立する。ひと皿分でも炒め物として問題なく、ひとつかみでもスープの印象を変えるには足りる。
レシピより、絡んでいるソースのほうが重要
このうちどれが向いているかは、めん自体ではなく、そこに何が絡んでいるかでほぼ決まる。油やハードチーズだけのプレーンなパスタがいちばん融通が利く——炒めても、焼いても、サラダにしても大きな問題が起きにくいのは、二度目の加熱で挙動が悪くなる材料が何も入っていないからだ。トマトソースもほぼ同じくらい扱いやすく、スープに溶け込ませるのも簡単だ。クリームやチーズ、魚介のソースはやや事情が違う。もう一度しっかり温め直す分には問題ないが、冷製のパスタサラダには向かないし、決めかねて放っておいていい部類ではない——冷蔵庫の中でも早めに片づけたいものとして扱う価値がある。ソースの種類によって安全に食べられる期間がどう変わるかは、別の記事で詳しく確認しておく価値がある。プレーンなパスタと同じ感覚でクリーム系の残り物を扱わないほうがいい。
どちらに化けさせるにしても、温め直し方は丁寧に
冷えたパスタが固まってしまうのは、表面のでんぷんが冷える過程で締まるからだ。フライパンで少量の水か油を足して炒め直せば、乾いて固まった状態に戻さずにほぐせる。電子レンジで一気に加熱すると、端だけ火が通りすぎて中心はまだ冷たい、ということになりがちだ。どちらの料理に仕立てるとしても、狙うところは同じで、しっかり中まで熱を通し、一度でその日のうちに食べ切ることだ。
実際に役立つこと
- 容器にしまうその日のうちに、次の姿を決めておく。「明日は炒めパスタにする」は計画だが、「そのうち温め直そう」はそのまま忘れられる理由でしかない。
- 実際に目に入る場所に置く。最近入れたものの後ろに隠れた容器は、新しく入ってきたものすべてと、誰にも見られない場所で競うことになる。
- 「また同じ料理を食べたい気分」の日まで取っておかない。そういう日はなかなか来ない。別の料理に作り替えてしまえば、そもそもその日を待つ必要がなくなる。
- 少量でも使う。それだけでは一食に足りない量でも、卵と炒め合わせたりスープにとろみをつけたりするには十分で、もう一食分そろうまで待つ理由にはならない。
これは Munch が埋めようとしている隙間の、小さな一例だ。残ったパスタの容器も、冷蔵庫の中のほかの食材と同じように——何であるか、いつ入れたか——記録され、家族全員に共有される。だから棚の奥のあいまいな影ではなく、日付のついた実際の食材として見え続け、その容器さえあれば完成する一品も、誰かがやってくれるだろうと思い込まれることなく、自然と候補に上がってくる。
残りのパスタが無駄になるのは、食べられなくなるからではない。挑む必要のなかった戦い——もう一度同じものとして食べてもらうという戦い——に、毎晩負け続けてきただけのことが多い。別の料理に作り替えてしまえば、そもそもその戦いに挑む必要自体がなくなる。