作らなかった料理のために買った食材が、なぜ戸棚に残り続けるのか
作りすぎとはまったく関係のない種類の食品ロスがある。ある一品のためだけに買った食材が、その料理自体を作らずに残ってしまうというものだ。週末にレシピアプリで見つけた一皿——ナンプラー、レモングラス一束、使ったことのない種類の小麦粉——を材料どおりに買いそろえたのに、水曜日には残業になったり、その気分ではなくなったりして、気づけば予定はテイクアウトや適当な一品に変わっている。食材は開封されないまま、特に悪くなるでもなく、ただそこにあり続ける。もう続きのない一皿に紐づいたまま、行き場を失っている。
これは「買いすぎ」とは違う種類の問題
ふつうの食品ロスは量の問題だ。パンを買いすぎた、青菜を買いすぎた、一人では食べきれない量を買ってしまった。今回はそれとは違う。ここで残るものは、たいてい必要な分だけしか買っていない——一袋、一瓶、一束、レシピが指定したとおりの量だ。問題は買いすぎたことではなく、最初から「その一皿のためだけ」に買われていて、その目的そのものが消えてしまったことにある。玉ねぎは特定の何かのために買われるわけではないので、その晩に何を作るとしても自然と使われていく。だが木曜のあの一皿のために買ったレモングラスには、そうした融通が最初から効かない。それが意味を持つのは、買われた理由になった料理の文脈の中だけであり、その文脈が消えれば、台所に存在し続ける理由も一緒に消えてしまう。
予定が崩れる確率は、買い物が崩れる確率より高い
献立を決める瞬間はたいてい調子がいい。日曜の午後、レシピを眺めながら、多少手間がかかっても作る気力がある——ところが実際に作ることになるのは、それとはまったく別の、そこまで協力的でない平日の夜だ。仕事が長引く。なぜかその日はタイカレーの気分ではない。レシピには四十分と書いてあるのに、その日は二十分しか使えない。これはどれも計画の失敗ではなく、日曜に献立を決める自分と、水曜に実際に台所に立つ自分が、必ずしも同じ判断を下すとは限らないというだけのことだ。そして食材には、そのどちらが勝つかを決める権利はない。買い物はすでに済んでいるので、たとえ計画そのものが崩れても、食材だけは残ってしまう。
なぜよりによってこの種の食材が忘れられていくのか
特定の一皿のために買った食材は、ふだんの常備品を生き延びさせている条件をたいてい満たしていない。それは「他に行き場があるかどうか」だ。にんにく、卵、米、玉ねぎは十分に多くの料理に登場するので、ある計画が流れても、その週の別の何かがそれを必要としてくれる。一皿のために買ったカレーペーストには、そうした受け皿がない。誰かがその存在を忘れたわけではなく、その週の献立の中に、たまたまそれを必要とする別の料理がないだけだ。だから、記憶の上では覚えているのに、実質的には視界に入らない状態が続き、やがて時間が経ちすぎると、それを使うことが「夕食を作る」ことではなく「あの一皿を最初からやり直す」ことのように感じられてしまう。
実際にこの流れを変えるもの
- レジに向かう前に、一つだけ自分に問う。 「もし今週この料理を作らなかったら、これは他に何に使えるか」。正直な答えが「特にない」なら、それは戸棚に二か月置いてから気づくことではなく、買い物かごに入れる前に知っておく価値がある。
- その一皿のためだけの食材は、小さく買う。 一袋ではなく唐辛子を一本、ファミリーサイズではなく棚にある一番小さな瓶。使い切り前提の食材を使い切り前提の量で買えば、計画が変わったときのダメージは、「また使うだろう」という理屈でまとめ買いした場合よりずっと小さくて済む。
- 予定が崩れたあとではなく、予定を立てるのと同時に代わりの使い道を書いておく。 「カレーペースト——チャーハンにも、マヨネーズに混ぜてサンドイッチにも使える」と一言書いておくだけで、行き場のない瓶が、次の行き先を持つ食材に変わる。それは、その料理のことを考えているついでに十秒で済むことだ。
- 実際に作り終えた料理がどれかに気づく。 たいてい、それはすでに家にあるものを中心に組み立てた料理であって、そのためだけに二つ三つ買い足す必要がある料理ではない。これは偶然ではなく、同じ仕組みが逆向きに働いているだけだ。
買い物の向きを逆にする
根本的な対策は、特定の一つの食材よりも、判断がどちらの方向から始まるかにある。ある一皿のために買い物をするということは、その食材が意味を持つかどうかが、その計画が実際の水曜日を生き延びられるかどうかにかかっているということだ。逆に、台所にすでにあるものから出発して、それが何になれるかを考えれば、その脆さそのものがなくなる。崩れる計画がそもそも存在しないからだ——食材は、最初から何かの計画を待っていたわけではない。Munchは冷蔵庫・冷凍庫・パントリーに実際に何があるかを記録していて、何を作るか決めるとき、すでにあるもので完成する料理と、あと一つだけ足りない料理とに分けて見せてくれる。そのため多くの晩、問うべきなのは「このレシピに足りないものを買いに行かなければ」ではなく、「今夜の夕食は今あるもので何ができるか」であり、その問いには、すでに家にあるものがたいてい自分で答えを出してくれる。
これは、レシピを見て計画的に買い物をすること自体が間違いだという話ではない。あえて計画して作る価値のある料理もある。ただ、その計画がその週を生き延びられなかったとき、残った食材は意志の弱さの証拠ではない。それは、変わってしまった計画の断片が戸棚に残っているだけであり、状態は今もまったく問題なく、ただ、それが買われたときに思い描いていた一皿以外の何かにもなれるということに、誰かが気づいていないだけなのだ。