一人暮らしだと食品ロスが増えやすいのはなぜ?
一人暮らしをしていると、自分は人より片づけが下手なんだろうかと思いがちだ。買ったほうれん草の袋は使い切る前にしなびるし、食パンの残り半分は固くなるし、チーズの角にはいつの間にかカビが生えている。けれど、もっとよくある理由は、几帳面さとはあまり関係がない。スーパーで売られているもの、レシピが想定している分量、家での保存の仕方――そのほとんどが一人より多い世帯を前提に作られていて、食べものの量とそれを食べる胃袋の数のあいだにあるずれこそが、多くのロスの出発点になっている。
パッケージもレシピも、一人分では設計されていない
スーパーの値付けは、多く買うほど得になるようにできている。大袋のほうれん草はグラムあたりの単価が安く、鶏もも肉の家族用パックは一切れあたりで見ると単品より割安だ。この値付けの前提には、同じ一袋を一週間かけて複数人で食べきる、という想定がある。一人にとっては「お得なほう」のパックが、同じ賞味期限に向かうカウントダウンを長くしているだけということも多い。節約になるのは傷む前に食べきれてこそで、一人分の食欲が一袋を空にする速さは、四人分よりずっと遅い。レシピも逆方向から同じ前提を持ち込んでくる。四人分で書かれたレシピを一人で作ると、行き場のない食材が四分の三残る、という夜が料理のたびに繰り返される。
冷蔵庫に注がれる、もう一人分の視線がない
誰かと暮らすキッチンでは、もう一人が冷蔵庫を開けること自体が一種のチェックになる。牛乳を取ろうとした人が、火曜日から残っているズッキーニの半分に気づく。おやつを探しに来た人が、開いたままの瓶を見つけて、買った本人より先に使ってしまう。これは仕組みというほどのものではなく、同じ棚を見る目が単純に多いというだけのことだ。一人暮らしはこの、意識せずに気づくという仕組みをまるごとなくしてしまう。あのズッキーニの半分がまだ残っていることを思い出させてくれるものは、自分から探しに行く以外に何もなく、そして「探しに行く」というひと手間こそ、疲れた火曜日の夜にいちばん省かれやすいものだ。
両極端に引っ張られる
一から作る食事は、一人分でも四人分でも手間がほとんど変わらない。切る手間も、鍋を使う手間も、後片づけの手間も、人数分だけ小さくなってはくれない。そのせいで、一人で食べる人には二つの正反対の反応が、どちらも合理的に見えてくる。テイクアウトか外食に頼り、その晩すでに冷蔵庫にある食材をそっと素通りするか。あるいは一度にたくさん作って、残りを保存するか。どちらにも、それぞれ別のロスのリスクがついてくる。テイクアウトに頼っても、すでに買ってある食材が消えてなくなるわけではなく、向き合う瞬間を先送りにしているだけで、たいていその頃には状態がさらに進んでいる。まとめて作れば、数日分の残りものが一斉に列をなし、これから先の食事の座を奪い合うことになる。できたての早いほうの選択肢がすぐ隣にあれば、三日前の容器がたいてい負ける。
同じ量を使い切るのに、必要な食事の回数が少ない
四人家族なら、レタス一玉やハーブ一束、生クリーム一パックも、二回の夕食でほとんど意識せずに使い切ってしまう。四つの胃袋が同時に同じ食材を減らしているからだ。一人だと、同じ量を使い切るのに、何日にもわたる何回もの別々の食事が必要になる。そして食材が余分に置かれる一日一日は、誰にも気づかれないまま、その食材が自分の限界を静かに越えていける一日でもある。なぜなら、気づく役目を持つ人が、もともと一人しかいないからだ。
覚えておくという負担が、一人にすべて乗る
誰かと暮らす世帯では、今夜何を作るかという判断は、少なくとも部分的には口に出して決められる。誰かがピーマンを使おうと言い出し、別の誰かが魚をそろそろ食べないとと思い出す。一人暮らしでは、在庫の全体が一人の記憶だけに乗っていて、それを促してくれる相手がいない。これはまさに、日々積み重なる負荷が、家にある食材を手作業で把握し続けることをあきらめさせる典型的なパターンであり、本人が本気で食品ロスを減らしたいと思っていても、賞味期限リマインダー系のアプリが数週間で使われなくなる原因と同じ構造だ。問題は一人だから気にかけていない、ということでは一度もない。人数の多い世帯では、名前のつかない仕事として複数人の注意力に静かに分散されているものを、一人暮らしではその一人だけがまるごと引き受けている、というだけのことだ。
実際に役立つこと
- 単価の得より、その週に食べきれる量を基準に買う。単価は少し割高でも小さいほうのパックが、実際に食べきれることが多く、食べきった小さいパックは、食べきれなかった大きいパックにいつも勝つ。
- レシピの分量は、そのまま買う買い物リストではなく、割り算していい数字として扱う。レシピが指定する量の四分の一だけキャベツを買う、あるいは新しい食材の代わりにすでに開封済みのものを使う――こうした工夫が、四人分を前提にしたレシピが残していく隙間を埋めてくれる。
- 大量に作ったら、食べ終わる直前ではなく、作った直後に一人分ずつ分けて冷凍する。冷凍庫にラベル付きで入った一食分は、未来の一食になる。同じ料理が冷蔵庫に大鍋のまま残っていると、これから四日間、その料理は自分自身と席を奪い合うことになる。
- 何を作るか決める前に、すでに開封済みのものを先に見る。買い物をしてから献立を決めるのではなく、冷蔵庫にあるものから逆算して考えることが、同居人の「なんとなく気づく」という無料のチェックの代わりになる、唯一の習慣だ。
これは Munch が目指していることに近い。冷蔵庫に実際に何があるかをいつも正直に記録しておけば、同居人の視線が気づいてくれたはずのものが、同居人なしでも見えるようになる。さらに、手元にある食材を「今夜作る価値があるもの」としてまとめてくれるので、問われるのは「今日は何を食べたい気分か」ではなく、「すでに家にあって、そろそろ手をつけるべきものは何か」になる。
これは一人で食事をすることそのものが無駄だという話ではないし、まして野菜室の奥にひそむ性格の欠点でもない。パッケージも、値付けも、レシピも、多くの一人暮らしの人には当てはまらない世帯人数を前提に作られていて、同居のキッチンなら無料でついてくる自然なチェックの代わりを、もっと頑張って記憶することではない何かで補う必要がある、というだけのことだ。