パッケージを捨ててしまった食品の日付を知る方法
どの台所でも起きる、ごく小さくて具体的な「しまった」の瞬間があります。小麦粉の保存瓶、冷凍したひき肉の袋、パックから出して並べた卵——手に持ってから、日付はもう資源ごみに出した箱のほうに印字されていたと気づく、あの瞬間です。取り返しのつかないものを失ったように感じますが、たいていはそこまでではありません。失ったのは基準点であって、いま手にしている食品そのものについての事実ではないからです。そして基準点は、別のところから作り直せる数少ないもののひとつです。
日付はパッケージのものであって、食品のものではない
ここははっきりさせておく価値があります。この状況をどれくらい深刻に感じるかが、これで変わるからです。賞味期限も消費期限も、温度や水分量のように食品が自分で持ち歩いている性質ではありません。たまたまそれを包んでいた紙や樹脂に、メーカーが印字した一行にすぎないのです。食品のほうは日付を知りませんし、日付がゴミ箱に入ったからといって何も変わっていません。五分前とまったく同じ古さのままです。
だからこそ、これはこんなに簡単に、こんなに頻繁に起きます。小麦粉を袋から見栄えのいい瓶に移し替える。卵をパックから出して冷蔵庫のトレーに並べる。ひき肉をスーパーのトレーから出して冷凍用の袋に入れ替える。直売所や八百屋で、そもそも日付など印字されていないものを買う。どの場合も食品は変わっておらず、情報だけが消えています。情報と食品は、もともとくっついてはいなかったからです。
失ったのがどちらの日付かで、意味がまったく違う
日本の表示によく出てくる二種類の日付は、惜しむべき度合いがかなり違います。そしてその違いが、ここから先どれくらい慎重になるべきかを決めます。
パッケージにあったのが賞味期限——小麦粉、米、乾麺、菓子、缶詰など、戸棚にあるものの大半——なら、失ったのは品質の目安です。もともと余裕をもって設定された数字で、危険になる時期ではなく風味が落ちていく過程を指しており、自分の判断で置き換えることに十分な理があります。失っても、軽い不便で済む話です。
あったのが消費期限——生肉、生魚、弁当や惣菜のようなそのまま食べられる要冷蔵品——なら、話は別です。この種の食品にその表示がついているのは、傷みの進行が感覚で分かるより先に進みうるからで、「その時になったら見て決める」という構えは、米の袋に対してほど頼りになりません。いま使えないという意味ではありません。次の「家に来た日を復元する」という段階が重要になる、という意味です。傷みやすい食材について、だいたいいつ買ったのかがどうしても思い出せないのであれば、慎重そうに見える判断ではなく、実際に安全側に寄せた判断のほうが正解です。
印字された日付ではなく「家に来た日」を復元する
この問題をぐっと軽くしてくれる事実があります。印字された日付は、そもそもあなたの台所を実際に支配していた数字ではありません。それが説明しているのは、あなたのものではない保存条件のもとに置かれた、未開封のパッケージです。家の中であと何日もつかを本当に決めているのは、いつ家に来て、それからどう保存されてきたか——そしてそちらは、かなりの確率で調べ直せます。
- クレジットカードやキャッシュレス決済の履歴。ある日のスーパーでの支払いは、その買い物で持ち帰ったすべての上限日になります。たいてい最短ルートで、しかも日単位で正確です。
- スーパーのアプリや電子レシート。品目ごとの購入履歴を残してくれるところも多く、「たしか少し前」を日付つきの一行に変えてくれます。
- スマートフォンの写真。写真には撮影日時が残ります。その週の食事や出先の一枚があれば、買い物の日を一、二日の幅まで絞れることがよくあります。
- 自分の買い物のリズム。週に一度まとめ買いをする家なら、その品はほぼ直近二、三回のどれかです。それだけ絞れれば、判断するには十分です。
どれもメーカーの印字を取り戻してはくれません。その代わり、もっと役に立つものをくれます。あなたの台所の時計が実際に動き出した日です。
食品そのものを読む、そしてそれが通用しなくなる場所
戸棚の乾物なら、感覚による判断はかなり有効ですし、食品安全の考え方がこの分類で頼るように言っているのもまさにそれです。小麦粉や穀類が古くなると、少しつんとした、こもったような、古いクレヨンに似たにおいが出てきます。中の油脂が酸化しているためで、これは風味の問題であって危険の合図ではありません。乾燥ハーブやスパイスは、ほかに何かが起きるより先に香りを失います。ひとつまみ指でこすってみて香りが立たないなら、料理の中でも仕事をしないということで、買い替える理由にはなっても心配する理由にはなりません。ナッツや全粒粉が白い小麦粉や精白した穀類より早く傷むのも、酸化する油が多いからです。
感覚による判断が本当に通用しなくなるのは、消費期限のグループです。生肉、生魚、そのまま食べられる要冷蔵品は、見た目もにおいもふつうのまま、意味のある量の菌を抱えていることがあります。この種の食品に品質の目安ではなく安全の期限が付く理由は、まさにそこにあります。においを嗅いで「おかしい」と分かればそれは強い証拠ですが、「おかしくない」は弱い証拠にしかなりません。冷凍食品は同じ落とし穴の裏返しです。かちかちに凍った塊はほとんど何も読ませてくれません。冷凍は食品をほぼその状態のまま留めるので、時間の経過を見せるのではなく隠してしまうからです。
そもそも起きなくするための習慣
以下はどれも、ひとつの動作の別バージョンです。情報を頭の中に留めようとするのではなく、ものの側に書き戻すということです。
- 移し替えるその場で日付を書く。あとでではなく。瓶に一行書くのに二秒しかかかりませんし、箱と瓶を両手に持っているその瞬間だけが、この情報が無料で手に入る唯一のタイミングです。
- 箱ごと捨てず、日付の部分だけ切り取る。残しておきたい記号や日付があるなら、その一片を切って瓶に入れておけば、手間ゼロで元の情報を食品のそばに置いておけます。
- 冷凍用の袋は、冷凍庫に入れる前に必ず書く。ここがいちばん効きます。凍った塊は古さを何も語らないうえ、霜越しでは中身が何かすら分からないことも珍しくありません。
- もともと日付がないものは、家に来た日がその日付です。直売所の野菜、量り売りの穀類、知り合いの畑から届いた一袋——失う印字がそもそも存在しないので、持ち帰った日が最初から唯一の時計です。
本当に難しいのは、一度ラベルを書くことではありません。数週間後、実際に必要になったその時に、その記録がまだ残っていて読めること、そして瓶を手にしている人がそれを見られることです——その人は、ラベルを書いた本人とは限りません。Munch は、それぞれのまとまりを追加した日と保存場所——冷蔵庫、冷凍庫、パントリー——とともに記録し、家族全員が同じ記録を見られます。だから、もともと日付がなかったもの、あるいは日付を資源ごみと一緒に失ったものにも、「これはいつからここにあるのか」という問いに対する答えが残ります。誰かが特定の火曜日を覚えているかどうかに頼らずに。
これは避けるべき失敗として扱う必要のない話です。パッケージが捨てられるのは、捨てるのがパッケージに対する正しい扱いだからです。印字された日付は最初から、もっと素朴な問い——これはどれくらいここにあるのか——の代役を務めていただけで、そこに気づいてしまえば、答えを自分で記録しておくほうが、頼っていたその数字よりも手軽で、しかも正確だと分かります。