輸入食品の日付にシールが貼ってあるのはなぜ?
海外から届いた瓶や箱を開けると、もともと印刷されていた日付の上に、日本語のシールが貼ってあることがある。全部を覆っている場合もあれば、端だけの場合もある。最初に浮かぶのは「これ、貼り替えられているんじゃないか」という疑いで、その警戒心自体はおかしくない。でも、日付の上にシールが貼ってあるという事実だけを見れば、それは危険信号というより、むしろ手続き上のことに近い。
シールは正規の表示ラベルであって、日付を書き直したものではない
どこの国でも、店頭で売られる食品には原則として品名・輸入者・保存方法・日付といった情報を、その国の言葉で表示する義務がある。海外の言語で、海外の日付表記で印刷された瓶は、それだけではこの基準を満たさない。だから通関から店頭に並ぶまでのどこかで、輸入者や販売者が読める表示を追加する必要があり、いちばん手っ取り早いのは、読めない部分の上にシールを貼ることになる。そのシールに書かれている日付は、通常、誰かが勝手に新しく考えた日付ではなく、もともと印刷されていた日付を翻訳し、表記を変換しただけのもの——法律上「読めるようにする」ことが求められているからで、日付そのものを動かす意図があるわけではない。
シールが教えてくれること、教えてくれないこと
シールは、輸入者が主張する日付を、読める形で教えてくれる。でも、その主張が正しいかどうかを自分で確かめることはできない。なぜなら、シールが言い換えているはずの元の印字は、いまシールの下に隠れているからだ。これは疑い深さの問題ではなく、実際の制約だ。元の表示を完全に覆うシールがあるということは、あなたが信じているのは輸入者、あるいはその表示を代行している業者という、チェーンのどこか一箇所だということになる。多くの場合、その信頼は問題にならない——国産品を買うとき、サプライチェーンをいちいち自分で検証しないのと同じことだ。もう少し注意して見てもいい場面は、次のようなときだ。
- シール以外に日付の手がかりが一切ない場合。 元の包装から製造ロットの印字などが何も見えなければ、シールと照らし合わせる対象そのものがない。端に元の印字が少し見えていて、それを言い換えているだけの場合とは状況が違う。
- 表示を行った事業者名がどこにも書かれていない場合。 正規に輸入された食品なら、日付に加えて国内の責任事業者が誰かも表示されているのが普通だ。日付だけが貼ってあってそれ以外は何もない、というのは表示として薄い。
- 同じロットのはずの瓶なのに、シールの見た目がバラバラな場合。 貼る位置が多少ずれているのは普通だが、フォントや大きさ、印字のきれいさが本来同じロットのはずの商品同士で明らかに違うなら、気に留めておく価値はある。
これらはどれも、いま手元にある特定の瓶についての判定ではないし、そう読むべきでもない。ただ、シールがあるという事実だけでは、問題があるとも、下に印刷されている日付がそのままだとも、どちらも証明できないということだ。
日付の書き方が違うだけ、という理由も大きい
海外で印刷された日付は、翻訳するだけでは済まないことが多い。日/月/年、月/日/年、年/月/日——どれも見た目はただの数字の並びで、同じ数字でも順番が変わるだけで「まだ余裕がある」日付が「もう過ぎている」日付に見えてしまうことがある。買う人が普段見慣れている順番で刷り直すのは、こうした読み間違いを防ぐためであって、商品の古さを隠すためではない。そう考えると、貼り替えの多くは、誤解を減らすために存在していることになる。
自分で確かめられるのは、それが家に届いた日
シールに何と書いてあっても、誰の言葉も借りずに確かめられる日付が一つだけある。それが実際に家に届いた日、自分の目で見た日だ。ラベルをどれだけ信頼しているかに関係なく、この日付は書き留めておく価値がある——これは輸入品に限った話ではなく、近所で買った食品でも同じことだ。Munchでは、その一まとまり(バッチ)を追加した日と、冷蔵・冷凍・常温のどこに置いてあるかを記録できる。この記録は、包装に印刷されていたりシールで貼られていたりする日付とは独立していて、荷物を開けた本人の記憶だけに残るのではなく、家族全員が見られる形になる。
日付の上にシールが貼ってあること自体は、ごく普通のことで、多くの場合は表示のルールが正しく機能している証拠でもある。実際に役立つ習慣は、近所のスーパーで買った食品に対するものと変わらない——それが実際にキッチンに入ってきた日を自分で記録し、完全には確かめようのないラベルではなく、その日付を頼りにすることだ。